100分de名著 偶然性・アイロニー・連帯
第1回 近代哲学を葬り去った男
西欧哲学が唱えてきた「基礎づけ主義」「本質主義」は、価値感が多様化した現代にあっては百害あって一利なしと批判するローティ。あらゆる知がそれぞれの地域や時代によって育まれた「偶然的なもの」であるという事実を直視し、そこから哲学の新たな役割を創り出さなければならないと主張するのだ。多様な価値観がせめぎあう社会の中で、歪んだ「語り」や「言説」に治療的に働きかけるという哲学の新たな役割に迫っていく。 SNSで注目された
一連の制度が破綻したと判断し投票すべき「強い男」が探し始めることを決断するだろう 隠れた鉱脈のような学者
既存の哲学を否定
伝統的な哲学は「真理を探求するもの」とされている
真理に到達するのが最終目標、探求が終わればそれ以上の話は必要ない
ローティは、哲学の使命はそうした議論や会話を終わらせるような勢力に抵抗し、それらを批判的に吟味することで、会話が絶滅しないようにすることなのではないかと考えた
Kindle版 NHK 100 de 名著 ローティ『偶然性・アイロニー・連帯』テキスト p.11
では何をすれば良いのか
「鏡」
ありのままを映すような
永遠不変の真理を映す
哲学は「永遠不変の論理」を扱っているのではない
同じ問題を扱ってはいない、違う問題をずっと扱ってきたのでは?
ローティのキャリア
アメリカで分析哲学が浸透した頃に博士号を取得(1956年) 分析哲学の中心地となろうとしていた場所
だがだんだん分析哲学への懐疑・批判が蓄積していった
『哲学と自然の鏡』(1979年)でその思いが表出
反発を受けた
哲学科に席がなくなっていき、知識人としての立ち位置に
相容れない主張
「👽は感情があるのに気づいてない」
「地球人は感情があると思っているが思い込みに過ぎない」
原理的に状態が解決しない
通常のコミュニケーションなら「何も困ってないんじゃないのでは?」
「心」が元からあったのではなく、デカルトが自分の問題を解決するために「心」の概念を発明したのではないか
私達の時代に何をすればいいのかに答えたのが「偶然性・アイロニー・連帯」
人類の対話を守ること
確実なものの上に知識が積み上げられている
「これが正しいのだ」で会話を断ち切ってしまう
ある特定の語り方が「正確で、事実に近いもの」と決めてしまうことによって、他の表現が「正しくないもの」になり、黙らされてしまう
正統性とでもいうのかなcFQ2f7LRuLYP.icon
源氏を参照しない批判はよろしくないという方向が決まってしまう
言葉ができたことによって、これはよくないこと、やめよう、という動きが生まれた
経済的効率を重視する言葉
「それはしびれるということなのですよ」
A: 「"しびれる"が正しい、そう言いなさい」
B: 「そういう言い方もできるね」
国語の先生の話が井戸端にあったようなcFQ2f7LRuLYP.icon
さまざまな言葉が共存している状態を守ろう
これがローティの考えた哲学の役割
へーcFQ2f7LRuLYP.icon
「くさいだー?」cFQ2f7LRuLYP.icon
当事者自身も名付けられて初めて問題があったことに気づく
「あーそうか、これ「ワンオペ」なんだ」みたいなcFQ2f7LRuLYP.icon ポテンシャルを秘めた息子
「パパー、海の上で太陽が溶けているよ」
毒親
「残念!夕焼けという表現がもうあります」
「夕焼け」という正解でバッサリやってるcFQ2f7LRuLYP.icon
ポテンシャルを秘めた息子ここすきcFQ2f7LRuLYP.icon
多様な言葉を守るためにどうするか
一番便利な言葉にしよう、という方向性が間違っている
どちらが正しいのかと上書きしない
様々な言葉が共存している状況を守ろう
言葉が変わると社会も変わる
常識も偶然の産物
「正しさ」は今後も変わっていく
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まさかの本人が実況解説をしていた、新しい学びの形だ。nishio.icon それどころじゃなかった、実況解説にさらに補足がついたブログ記事があった
思考実験のアニメV明けの伊集院さんの第一声。SNSでも感嘆の声が多々ありましたが、本当にポイントの理解がすばらしく、話が弾みました。もちろん、厳密には違いもありますが、要点を捉えて自分自身の言葉で表現してくださることで、視聴者にはより理解しやすくなる(それこそ理解の「襞(ひだ)」が増える)でしょう。この伊集院さんあっての「100分de名著」なのだなぁと思った一幕でした。 すごく頭のいいコメントだなあ、アドリブなのかな、原稿あるのかな、と思ってたが頭いいアドリブなのかnishio.icon ここで伊集院さんが仰ったのは、いわゆる「逆転スペクトルの懐疑」で、厳密にはこの思考実験とは違いますが、論証の構造とここでの論点(実践的には困らない)については重なるものでした。 2/12
オンデマンドにまだきてなかった
来た
「公私混同はよくない」とされる常識に反して、社会のあらゆる領域で公私は混同され続ける。芸能人の不倫スキャンダルが正義のもとに断罪されジェンダー的に不適切なポスターが公共空間を彩る社会……現代社会は「公的なもの」と「私的なもの」が入り混じる。ローティは、公私の区別こそが民主主義の基盤となると主張し「バザールとクラブ」というモデルを提示。私的な仲間内の「クラブ」ではいかなる奇抜な趣味、異常な趣向をもっていても同好の士の間で共有されるが、そこから一歩外へ出ると自分の基準からは許しがたい価値観の人々も交錯する「バザール」が広がると考える。「バザール」内では公共的な規範やマナーが重視されるべきで、そこを整備することこそ哲学の役割だとするのだ。第二回は、現代社会において「公」と「私」をきちんと立て分けることがなぜ大切かを明らかにし、民主主義の基盤となりうるような公共空間をどのように作っていけばよいかを考える。 ここで学んだ概念をPlurality本に書き込んでおいたnishio.icon
人間や社会は、具体的な肉体をまとったボキャブラリーである
いろんな局面で言葉遣いが変わる
どの言葉遣いも本当だが、ボキャブラリーによって違うとらえ方をされる
終極の語彙を疑うのがアイロニスト
ファイナルボキャブラリーが出る場では会話が打ち切られることがある
Zガンダムの例「分かるまい 戦争を遊びにしているシロッコには、この俺の体を通して出る力が」
「俺の身体を通して出る力とは?」
「皮肉」と訳すとミスリードとなる
ロマンティック・アイロニーは
十八世紀末~十九世紀はじめのドイツの批評家シュレーゲルらが用いた 作品を作った後満足せずに反省し、さらなる創造につなげる態度
ローティのアイロニーは「語り直す態度」に力点が置かれている
いつでも別の言葉に言い換えが出来る準備ができている人
本質を追求しない、公私を一致させない
公共的なものと私的なものを区別すべき
常に本音ではなく建前を切り分けて振る舞う
自己の偶然性を認識し、自分の正しいことも改訂されることに開かれている人
考察
面接の場では本音ではなく建前で行動することが求められている(面接官の主観的期待)
本音で語る行動がその「面接官の主観的期待」を裏切るのでネガティブに評価される
ということかな
実況
伊集院さん「100%の「(私的)クラブ」、100%の「(公共的)バザール」、現実には区別できない」という返し、本当にすごい鋭くて、このメタファーの限界とここでの重要なポイントを突いてくださったと思います。
今回も冴え渡る伊集院さんのコメント力。台本じゃないんですよ、本当に…。
第3回 言語は虐殺さえ引き起こす
「100分de名著」ローティ篇第3回「言語は虐殺さえ引き起こす」、こちらのスレッドで実況・解説をやっていきます。
第3回 言語は虐殺さえ引き起こす
ローティは伝統的哲学によって基礎づけられた「人権」という概念に疑義を呈する。それは暴力を阻止するどころか助長することもありうると警告するのだ。「理性をもつ存在こそ人間」という近代哲学がロジックは「理性をもたなければそれは人間ではない」というロジックに容易くすり替えられる。ルワンダでは敵対する部族を「ゴキブリ」「蛇」と名指さすことで虐殺のハードルが著しく下げられ非道な殺戮が横行した。「虐殺の言語ゲーム」として分析されるこうした事例を、ローティは「残酷さの回避」という新たな概念によって抑止しようとする。第三回は、ヘイトスピーチや虐殺を生み出してしまう言葉遣い、ボキャブラリーのメカニズムを解剖し、どのようにしたらそうした事態が避けられるかを明らかにしていく。 珍走団という名付けをおもいだしたcFQ2f7LRuLYP.icon 「ロジックのすり替え」ってなんだ?はるひ.icon
そんなこと言ってないけど勘違いされるということなのか、実際そう言ってしまっているということなのか
再記述による屈辱
他人に書き換えられることの不安定さ
リアルタイム視聴成功!nishio.icon
録画で見た!
場所によって言葉を変えて良い、むしろ変えた方がいい
しかし語り直しにはダークサイドもある、が今回のテーマ
互いに対して持っている寛容の度合いを増大させること
「嫁」と呼ばれてモヤモヤする話して
モヤモヤを言語化することが哲学の使命
呼ばれ方で体現された社会的規範
ボキャブラリーの受肉だね
言葉遣いで作られた環境的事実
1: 人を「フツ」「ツチ」と分類して線引き
「われわれ」と「やつら」の線引き
2: 「ツチ」と「ゴキブリ」を関連づける
3: 「ゴキブリを駆除しよう」と呼びかける
人々の中で「ツチを殺そう」と翻訳されて虐殺の心理的ハードルが下がった
「本質」があると考えると「本質的に違う」が出てくる
我々は本質的に持っているが、あいつらは持ってない
「日本人は災害時に略奪しない」が「日本人でないならやるかもしれない」になり「やつらはやるから先にやっつけろ」になってしまう
「殺人者は人権を犯しているつもりはない、非人間的なことをしてるつもりはない、相手を人間だと思ってないから」
「理性があるのが人間」→理性がなければ人間ではない
人間に本質があるなら、本質を共有しない相手は人間ではない
人間ではないから人権もない
奴隷をたくさん持っていた
言葉は怖いが使わないわけにいかない
「気持ち男性を排斥しよう」を「ゴミ掃除」と言い換える構図がルワンダの虐殺構文を彷彿とさせてゾッとしたnishio.icon
X 次回第4回(最終回)、「人権」のような本質主義をむしろ有害なものと捨て去ったとき、どのように他者と共存できるのか。 最後の主題「連帯」をめぐって、ローティ一流の「文学」の読み解きを見ていきたいと思います。サブテキストは世界文学の金字塔・ナボコフ『ロリータ』です。若島正訳でぜひ。 「モヤモヤを言語化する」は、たぶんですが、台本にもぜんぜんなかったフレーズのはずで、それでいてものすごくローティ的哲学プロジェクト(後述する、弟子ブランダム「推論主義」なども含む)のキーフレーズなので、ここはついうれしくなって即座に被せてしまいました。 第4回 共感能力によって「われわれ」を拡張せよ!
第4回 共感能力によって「われわれ」を拡張せよ!
ローティは、マイノリティの権利獲得の裏で相対的な権利剥奪感を抱く白人労働者層が「自分たちこそ弱者だ」と叫び強力なリーダーを求める可能性を導き出し、「トランプ現象」を予測したとして高く評価された。マイノリティを救うはずの「アイデンティティの政治」が逆用される現象だ。ローティは、文学やルポルタージュを使って他者への共感能力を育て「われわれ」という意識を拡張し続けるという処方箋を提示する。第四回は、「トランプ現象」や「ポピュリズム」等の現代社会の問題に対して、哲学はどのような処方箋を用意できるのか、ローティが理想として掲げる「リベラルな社会」とはどのようなものなのかを探る。 あ
hee_verm 「100分de名著」ローティ篇最終回「共感によって「われわれ」を拡張せよ!」、こちらで実況・解説をやっていきます。 残酷さの最中で苦しんでいる人は自分の苦しみを言葉にすることができない 「被抑圧者の声」なるものや「犠牲者の言語」なるものは存在しない
だからその苦しみを第三者がストーリーにしてあげることが大事だ
>satetu4401: ガキの頃から暴力ふるって最終的に人殺したゴミに興味を持って理解しようとする癖に、殺された3人側には興味を「持てない」現代人はエンタメで暴力や異常者に親しみすぎてるせいで、普通の人間に興味を持つ習慣が失われてるんだよな 逆に(残酷な言い方だけど)偶然殺された"だけ"の被害者側を詳しく知ることの必要性ってほとんど無く、あるとしたら同情的な気持ちの上でしかないわけで。
逆にそれこそエンタメ蔓延の産物的なもの典型ではないだろうか?と思ったりします。
本人(被害者)不在の場で語られるような言説もまた残酷さを備えることもある気がするcFQ2f7LRuLYP.icon
しばらく前の内親王の話とか